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Learn from history

歴史に学ぶ

 

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

戦国大名の一人織田信長は、現代でも人気の武将。天下統一の夢を抱きながらも、その目前で家臣明智光秀の謀反に遭い、自ら命を絶つという悲惨な最期に・・・。

信長は、織田信秀と土田(どた)御前の間に生まれた嫡男。2歳の時に父から城を与えられ、重臣とともに暮らすことになります。父・母・弟は本拠地に留まり、信長は親の愛を知らないまま少年時代を過ごすことに・・・。大運1旬が示す通りです。

物心がやっとつく頃に、いきなり「調舒星」の世界。しかも受け皿がありません。幼い子供が受け止められる環境ではなかったはずです。

しかし最身強が幸いしたのか、世の中に対する反発・反抗心、そして天下人となる土台もこの頃に形成されたと言えるでしょう。

この宿命の大きな特徴は、横一線に貫索星・石門星が並び、天将星が二つもある最身強であるということです。

そして育った環境も特殊。幼い頃から自分の力を見せつけることができる環境でした。「自分が一番強い」「人間は力だ」という人生観が具わります。こうなれば、常識など一切通用しない人間になってしまいます。それが「尾張の大うつけ者」と呼ばれる所以。

そして父信秀が亡くなり、18歳で家督を継ぐと更に拍車が掛ります。自分に歯向かった実の弟まで殺してしまいました。自分に逆らう者は、激しく攻撃し、救うことなど一切しません。攻めて、攻めて、そして容赦なく潰す!

父の死後、「織田」という名を更に天下に轟かせるまでになり、「名誉」も思いのままに得られるようになってきました。

新しいものが好きで、枠に捉われない発想。そして経済政策にも尽力し、様々な功績も残していますが、どうしても過激な印象が残る信長。

肩書が増え始めたのは、「名誉中殺」の大運に入ってからです。名誉を得ることは悪いことではありません。しかしその手法にも強引さがあり、それが自分の人生を狂わせる引き金になっていきます。

信長の宿命とその環境を基にした運勢は、典型的な黄龍運型(おうりゅううんけい)になります。この運型は、一代限りの成功者、そして「外敵に強く、身内に弱い」という特徴があります。

信長も例外ではありません。心を許した明智光秀の謀反に遭い命を絶つことに・・・。

明智光秀は、信長とは対等になれるほどの知恵と力を持ち、互いに守護神となれる関係。信長の信頼も厚かったはずです。

「本能寺の変」は、信長にとっては身内のもめ事が起こる時。そして光秀にとっては「納音(なっちん)」が廻る時でした。トップを倒すという最大の名誉を得れば、それとは裏腹に自分の未来を絶つという結果しか待っていなかったのです。

 

足軽から天下人へ

「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」

これは豊臣秀吉の生き様を表した一句。積極的で努力も惜しまない人のように見えます。足軽から上り詰めるわけですから、普通の知恵や努力ではなかったはずです。そしてそれを面白がって引き上げたのが「大うつけ者」と呼ばれた織田信長。信長の家臣でなければ「天下人」にはなれなかったはずです。

これだけ運勢の強い宿命は、環境が味方をすれば、天下を取っても当たり前なのかもしれません。

季節の中心が揃う四正格。この場合、守護神が透干する上格です。大運も4旬まで守護神が回り、特に3旬は出世のスピードが加速された時期かもしれません。

秀吉が天下を取れたのは、その頭の良さです。機転が利き、常識の枠を超えた知恵を持っていたからです。それは信長が求めていた知恵だったのかもしれません。

日に日に存在感を現す秀吉。主君信長にも勝るとも劣らぬほどに・・・。しかし40代に入り、徐々に運勢は足踏み状態になっていきます。

「本能寺の変」をきっかけに天下人となった秀吉。謀反を起こした明智光秀が一人悪者になっていますが、秀吉にとっても主君は目障りな存在だったはずです。目上と名誉を取り合う秀吉の宿命は、それを物語っています。しかし主君から奪い取った名誉は、本来「有って無いもの」。執着すれば歯車が狂います。

また四正格は二面性を持つ宿命です。頭脳明晰である反面、異性に溺れてしまいます。

茶々を寵愛し、側室に招いた頃は、既に運勢に陰りを見せ始めた頃。そして茶々の存在が更に拍車をかけることになります。

足軽から天下人となった秀吉。しかし天下人となっても、それに相応しい「器」までは身に付いていなかったのかもしれません。この頃になると、人格まで落としているかのような采配が増えてきます。

ただ歴史の必然性として、泰平の世を迎える前には、必ず動乱を沈める者が現れるそうです。徳川という泰平の世を築く前に、地ならしをしてくれるユニークな人物、それが豊臣秀吉。秀吉は天命に従っていただけなのかもしれません・・・。

 

天下統一へ

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

待つことには慣れている徳川家康。還暦を過ぎ、ついに江戸に幕府を・・・。260年以上も続く江戸時代の幕開けです。

祖父の代に家運が急落。両親との縁も薄く、幼い頃から人質生活という特殊な環境で育った家康。「忍耐」と「死」は背中合わせだったのかもしれません。家康のその特殊な境遇は、そのまま特殊な運型を辿る生涯へとなっていきます。

家運が最も落ちている時に生まれ、不自由な中で育った家康。21歳で信長と同盟を結び、30代で徐々に頭角を現していきます。

「本能寺の変」以降は秀吉に臣従し、自らの足元を確かなものにしていきます。そして60代に入り、ついに天下人となります。知ってか知らずか、大成功者となる崑崙運型(こんろんうんけい)通りに生きた家康。この運型に入れば、5代先まで保証されます。6代将軍までが家康の直系5代となり、その後家康と同じ運型を辿る将軍が現れ、15代まで続くことになります。

 

時代に求められ、そして時代に逆らわず・・・。「不自由を常と思えば不足なし」・・・家康らしい言葉です。

 

最後の将軍

いつまでも泰平の世が続くわけではありません。15代続いた徳川の世も、次の時代にバトンを渡す時期がやって来ました。最後の将軍は徳川慶喜。無血で江戸城を明け渡した将軍です。

14代将軍の候補にも挙げられていたという慶喜ですが、本来は「将軍」には興味がなかったそうです。しかし一つの時代を終わらせるという大役は、慶喜にしかできなかったことかもしれません。守護神が両透する「科挙の宿命」。しかも木火通命にもなり、頭脳明晰。かなり上格の宿命になります。

初代家康が築いた一つの時代を終わらせるには、家康の運気に負けない強い運気が必要です。それだけの運気を持つのが慶喜だったのです。

二条城で「大政奉還」が行われたのは、慶喜30歳の年。30歳になる年は、必ず年干支が納音になります。長い歴史、そして国をも背負わされていた慶喜にとっては、過去からの恩恵や続いてきた諸々の歴史を切り換える年となります。だからこそ「大政奉還」ができたのです。

一つの時代を終わらせるにも、それに相応しい人物が現れます。それが歴史の必然・・・ということになるようです。